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北小路 肉丸の自分史・・つまり「肉丸史」

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第45話 父の話(青年編1)

第45話 父の話(青年編1)

祖父が亡くなったのは、父が17才の時でした。

若くして兄弟や家族を背負って立つこととなります。

父は体は小さいが腕力があったらしく、地元では「かなり」暴れん坊だったみたいです(笑)
私が子供のころ、父の友人たちから「父の逸話」を聞かされたモノでした。

ただ、仲間や友人たちの面倒見は良かったらしく慕われていたみたいです。

そのような父でしたが、祖父が亡くなり、生活が一変します。

学校を辞め、働くことにしました。

地元の田舎では、兄弟達を食べさせていくだけの仕事は無く、札幌に出て働くことにしました。

働き先は、祖父と仕事をしていた「大工」さんの所です。

それも、神社や仏閣を建てる「宮大工」という所に修業に行ったのでした。


修行時代のことは、あまり語りませんでしたから、知ることは少ないのですが、元々器用なこともあり、若くして仕事を任せられるようになったみたいです。

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第44話 祖父の話

話は複雑です。

前回は曽祖父の話を書きましたが、祖父は曽祖父の実子では無さそうです。

曾祖母は曽祖父と結婚する前に、曽祖父の兄弟と結婚し、そこで一男(祖父)を授かった後、主人を亡くし、兄弟の曽祖父と再婚したみたいです。

ですから、血は繋がっているものの、曽祖母の連れ子として祖父は曽祖父に育てられたみたいです。

祖父は長男として家督は継いだものの寺院は継がず、曽祖父の実子である弟達に継がせるつもりだったみたいです。

後を継ぐ者がいなければ、曽祖父が作ったと言え、寺院は別の人が継ぐことになります。

曽祖父は八男三女を育て、後に六男が跡を継ぎ僧侶になるのですが、この時点ではまだ幼く、別の人が寺院を継ぎました。

ただ、寺院は明け渡しても「住む場所」は同じ場所で、隣の住居棟に住んでいました。

祖父の兄弟ですが、残念ながら、その後の「付き合い」が薄れ、私が知る範囲では小樽に住む妹と余市に住む僧りょを継いだ弟しか知りません。
(戦争で亡くなった方もいるみたいです)
祖父は地元で「大工」を営んでいました。

曽祖父のような「逸話」が無いので(笑)、仕事っぷりは分かりません・・・。

ただ、唯一残された「袢纏」を見る限りは、地元でバリバリと仕事をしていたと想像できます。
_DSC8352.jpg

それでも、田舎町の大工さんですから、そんなに仕事もあるわけでは無く、実子の次男三女を育てるほか、自分の兄弟の生活も面倒見ていたみたいですから、暮らしは裕福とは言えなかったみたいです。

ちなみに祖父はバツイチでして(笑)、長女は前妻の子になります。

さて、自分の兄弟と子供達を育てるためバリバリと働いて祖父ですが、ある夏の日、仕事を終え、近所の川で汗を流している時に突然倒れ、54才という若さで亡くなりました。


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第43話 曽祖父の話

曽祖父は、理由や経緯は全く不明なのですが「僧侶」となったみたいです・・(笑)

修業の後、北海道の日本海に面した、ニシン漁で栄えはじめた港町に行くことになりました。

この港町には、まだ寺院が無く、漁師たちも「よりどころ」を求めていたみたいです。

港から離れた山間に寺院を建立し、隣の丘陵に墓地用地などを確保しました。
(今は公営の霊園になっている)

当時、ニシン漁は盛んで、その港町は活気にあふれていました。

一攫千金を狙う男たちは、海が荒れても漁に出たそうです。

ある日のこと・・・。

船が漁に出た後、海が荒れ、船が遭難し、多くの方が亡くなったことがあったみたいです。

曽祖父は、その事故を憂いました・・・。

自ら「誓い」を立て、厳しい修行を行ったそうです。

その「誓い」とは、自分の命の期限を60才までとし、その命を削った分を捧げ、人の役に立ちたいというモノでした。
(日蓮上人と同じ年齢を期限とした)

その「誓い」は、見事に成就し、曽祖父は「特殊な力」を身につけたと言われています。

どんなに天気の良い日であっても、曽祖父が「漁に出るな」と言ったら、漁師は漁に出るのを止めました。

その後、本当に嵐が来るからです。

止めるだけではなく、「今日はどこの漁場が良い」などという情報も出していたみたいです。

もちろん、それも「当たっていた」らしく・・・(笑)

町の人の多くが曽祖父のことを尊敬していたらしいです。

さて、その後、「命の期限」である60才がやってきました。

すぐには仏様のお迎えは無かったのですが、61才を迎えようとする直前に亡くなりました・・。

記念碑
写真は、曽祖父が開祖となった寺院にある曽祖父の記念碑。
(お墓じゃありません・・笑)

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第42話 北海道以前の話

しばらく放置してありましたが、少なからず「訪問」していただける方がいらっしゃいます。
(ありがたいことです)

さて、「ボクの話」は小学1年生まで進みましたが、実は「この先」の記憶は薄いです。

2年生になってからの「担任」が大嫌いでして・・・。

多分、今ならイロイロと問題になるようなことを連発していた先生でもありました。

なので「学校での想い出」というのが極端に少なくなっていきます・・・。

ということで、第3章は「ボクの話」をさかのぼり、「両親の話」をしていきたいと思います。



父方の曽祖父は、民話の故郷と言われる岩手県遠野市で生まれ育ちました。

今は、合併して「遠野市」なのですが、元々は達曽部という村がルーツです。

このあたりは、とても同じ苗字の人が多く、もしかすると皆、遠い親戚かもしれません?

実際、同じ名字の人で、お父さんが達曽部出身という知り合いもいて、遠い親戚かもしれないねと話しています(笑)

さて、調べてみたところ、地元でも力のある家(庄屋か何か?)に生まれたらしいですが、家督は次いでいません。
(多分、次男以降だと思われます)

ちなみに古い戸籍から調べたところ、「この家」が本家らしいです。
(家紋も一緒・・・笑)

本家?
残念ながら、突然訪問する勇気はありませんでした(笑)

この家で何か聞くことができたなら、曽祖父以前の話も知り得たかもしれませんが、そこまで遡り真実か分からないことを書くよりは、北海道からの話を書いていきたいと思います。

とは言っても、こちらも私が立ち会っていた訳ではありませんから、想像が混じってしまいますけどね。

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第2章のあとがき(2)

■火事の件

この後、しばらくは「火」を見るのがトラウマになりました。

小・中学校、理科の実験でアルコールランプに火をつけることもできないくらいでした。
(今は平気・・・笑)

でも「火」は動くのが早く、本当に怖いので「火遊び」は止めましょうね。


■コークス部屋

学校の地下に閉じ込められたというのは、後にも先にも「私だけ」らしいです(笑)

冬になると、用務員のおじさんがコークスを教室に配るため、地下室へのドアは鍵がかかっていませんでした。

暗い地下室に子供が入らないという思いもあったのかもしれませんが、この事件の後も、かくれんぼなどで私が利用したものですから、鍵がつけられました・・・(笑)


■小学校の同級生

当然ですが、すべて「仮名」です(笑)

3年ほど前、小学校の同窓会が行われましたが、「俺のオンナになりな」と言ったリカコちゃんも出席していました。

当時のことをしっかりと覚えていてくれてました・・・(爆)

カズオくんとは、2年生になるときクラスも変わり、その後連絡も取っていませんが、住んでいた場所はテナントビルになっています。

そこの飲食店を訪れたとき、ビルにカズオくんの表札があったので、今はビルオーナーなのでしょう(笑)

ちなみにヨシミちゃんは結婚して海外にいるみたいですし、ユタカくんは家業を継いで社長さんらしいです。


■先生の話

本文でも触れていますが、当時担任だった先生は、私の長男が入学した小学校の校長でした。

しかし、結婚され苗字が変わっていたため、まったく気づきませんでした。

かなり後になって知ったのですが、転勤されていて、結局は会えずじまいでした。


さて、次回から「第3章」となりますが、第3章は「ボクの話」ではなく、両親の話を書いていきたいと思います。



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