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北小路 肉丸の自分史・・つまり「肉丸史」

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第15話・パーマン

父は、この時、商店の改装工事をしていました。

元は「駄菓子」を扱っている店だったのですが、時代の変化もあり駄菓子屋さんから喫茶店に改装するそうです。

父は、そこから店内展示用のパーマンの空気ビニール人形をもらってきました。

似たような空気ビニール人形は売っていましたが、販売促進用はレアだったのかも知れません。

当然、スネ夫も持っていませんでした。

悔しがるスネ夫に優越感を感じましたし、とても嬉しい気分でした。
(性格悪いね・・)

あまりにも喜ぶボクの姿を見た父は、改装工事をしていた期間、毎日一品「お土産」を持ってきてくれました。

ただ、センスはありません。

紐を引っ張るとおしゃべりする九官鳥を1日1羽ずつとか・・・・。

まぁ、店舗でいらないものをいただいてくるのですから、センスも何も無かったのかもしれませんけどね。


今思えば、それらをキレイに保存しておけば、相当なコレクションになったかもしれません(笑)


当時のボクは、そんな先見の明は無く、片っ端から破壊していきました。

かろうじて、従姉にあげた九官鳥が祖母の所に保管されていただけでした。


一応、一人っ子でしたから、貧乏ながらも甘やかされて育っていました。

当時は、お菓子を買うと懸賞でプレゼントがもらえるという企画が多かったのですが、父はお菓子問屋に勤める同級生から「箱単位」でお菓子を購入していました。

特に「みんなが持って、ボクだけ持っていない」というセリフに弱く、欲しいものがあるたびに多用していました。

小学2年の時に「みんなが自転車を持っている」と言い、親が担任の先生に問い合わせしてバレるまで、このセリフは通用したものです・・・(笑)

おもちゃ類は、そんなに多くは持っていませんでした。

「無駄なものは買わない」という親でしたから。
(お菓子を懸賞のために箱買いするくせにね)

ただ、親類の家に行くなどの「長旅」があるときは「おもちゃ」を買ってもらえました。

汽車(北海道ではディーゼル機関車を汽車と言う)に乗るときには、必ず、マルス・ステーションデパートの「おもちゃ屋さん」で何か買ってもらえました。

記憶に残っているのは、西部開拓時代のブリキの蒸気機関車や壁に当たっても方向を変えて走るブリキのパトロールカーなどかな。

どちらも「音と光」が出るものでした。

円山の家は2部屋だけだったのですが、ふすまを締め電気を消した真っ暗な1部屋にこもり「音と光」を楽しんでいました。
(く・・くらい・・・)

あと記憶にあるのは、木のブロックと「レゴ」でした。

木のブロックは、文字や数字が書いてあるものですが、そんな文字はどうでもよく(笑)、積み上げてビルを作りました。

レゴブロックは、基本ブロックを20個ほど持っていた程度ですか、それを組み合わせて「自動車」を作り、畳の縁を道路に見立てて遊んでいました。

ビルと道路があれば、そこには当然「怪獣」が出てくるわけで・・・・。

空気ビニールの「パーマン」「怪獣」となり、ビルを破壊していますが、そこに正義ヒーローであるボクが登場し、最後は、ボクの繰り出すアイアンクローに敗れ去って(破れさって)いったのです・・。

おもちゃ
汽車で函館に行ったときに勝ってもらったピストルのおもちゃ
(なぜ困った顔をしているかは不明・・)

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