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2904

北小路 肉丸の自分史・・つまり「肉丸史」

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第1章のあとがき(3)

第1章のあとがき(2)

第1章の後半は、スネ夫との話がメインです。

ペコちゃんとの出会いから、ボクは変わっていくのですが、それは第1章で書かずに次の章でのお話にして、スネ夫とボクの比較をすることで、当時の生活を表しました。

また、文中「幼稚園」に行っていないことになっていますが、母親学園という札幌市で行っていた保育園?には通っていました。
(ただ、ココは全く記憶が無い・・・笑)


■第12話・ジェロニモ

キヨシというのは仮名です。

本当は違う名前なのですが、珍しい名前でその1文字だけ使わせてもらいました。

このアパートは、今の市立図書館のそばで、ココには3ケ月ほどしか住んでいなかったと思います。

本当は、キヨシの母親のことや、ベトナム戦争のことなども書きたかったのですが、子供のころのボクには、知る話では無いので書きませんでした。

親から後で聞いた話では、ココにも悲しい話があったみたいです。


■第13話・木佐キザオ

途中でキザオからスネ夫に代わってしまいました(笑)

今ではスネ夫の方が有名なのでスネ夫としましたが、ボクらは、この子のことを陰でキザオと呼んでいました。

当時の子供たちのコミュニティの中に、このようなイヤミな子は必ずいたと思います。

彼のお父さんは組長ではなく社長です。

が、本当に「裏の顔」があったのも事実です(笑)

ちなみに、今でも社長さんをしていた「会社」はありますが、時代とともにシステムも変わっていったと思います(意味深)


■第14話・スネ夫一家

息子はキライでしたが(笑)、この家族は好きでした。

アメリカのテレビドラマに出てくるような家族で、「文化的」というセリフがお似合いの家でした。

「職人気質」というウチとは真逆なのも新鮮に感じたのかもしれません。


■第15話・パーマン


駄菓子屋を何かの店に改装していたのは確かですが、「喫茶店に改装」はウソ。

しかし、当時、近所に喫茶店が何件も出来ていたので、あえて時代を感じさせようと喫茶店にしました。

おしゃべり九官鳥はグリコアーモンドチョコレートの懸賞で、何種類かあったと思います。

全種類を店でディスプレイしていたらしく、それをもらってきたらしいです。


ちなみに森永が「おもちゃの缶詰」を出した時、1ケース買えば必ずもらえるという話をお菓子屋の同級生に聞き、父はチョコボールを1ケース買ってきました。
(当然、金のエンゼルがあった・・・笑)

父は同級生にとって、良いお客さんでした。


■第16話・自分の部屋

スネ夫の持っていたのはリーダースダイジェスト社製の地球儀で、そのブランド名は今でも覚えています。

というか、小学校入学時に地球儀を買ってもらうのですが、リーダースダイジェストの地球儀じゃなきゃヤダと言いだし、最終的に買ってもらいました(爆)

当時でも高いモノだったと思います。



■第17話・ポッポ

夜、目を覚ますと何やら「お経」が聞こえてきました。

それは翌日も、その翌日も・・・・。

ボクは恐る恐る、起きだして、家を出て、お経のする場所を探しました・・・。

で、見つけたのが近所のお寺(笑)

寺の境内で遊ぶ子供は少なくて、結構自由に遊んでいました。


この後、秋田(青森だったかな)の鳩レース愛好家の人が、ポッポをレースに使ったのですが、帰ってこなかったみたいで、札幌に戻っていないかと連絡があったらしいです。

残念ながら、戻ってきませんでしたが、大通公園などで白いハトを見ると、ポッポでは無いかと思い、声をかけたりしていました。


■第18話・ペコちゃん

サクラダさんというのも仮名です。



次回からの第2章の前半は、この「ペコちゃん」との話がメインになると思います。
また、後半は「ボクの才能」が開花されていくわけですが・・・。

第2章はゴールデンウィーク明けから開始。






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第1章のあとがき(2)

■第7話・どんぐりコロコロ

この歌は、後に出てくるカマダ君から教えてもらった歌です。

というか、カマダ君が間違えて覚えていた歌です(笑)


■第8話・カマダ軍団

どのような知能検査を行ったかは覚えていません。
(そもそも、行ったかも疑問・・・笑)

ただ、知能指数は数字として残されています。
(あえて書きませんが・・・)

きっと、計算の仕方や環境などで変わるのだと思います。

今の自分を見ても、計算間違いがあったのだとも思いますもの。。

■第9話・すべり台事件

実は、ずーーっと大人になってから、カマダ君の母親が近所に引っ越してきました。

町内のお祭りで実家を訪ねたカマダ君と一度だけ再会しています。

その後もカマダ君のお母さんにはお世話になり、私の母のお葬式もお手伝いしてくれました。
(この話はズーーッと後に書くかもしれない)


■第10話・名犬チビ

両親はチビの話をすることが少なかったのですが、この「すべり台事件」だけはよく話してくれました。

なので、母親目線で話を書いています。


■第11話・チビ失踪

住んでいた家は、高台の谷側にあり、また道路の角にあり、かつ、近所の家からも死角になっているという、泥棒が狙うのに最適な場所でした。

道路からは庭はまったく見えず、庭に犬が飼われていることも分からないでしょう。

当時は、犯人を追いかけていった、というのを信じていましたし疑問も感じませんでした。

大人になってから「埋葬した」という話を聞き、思い返して疑問点がたくさん出てきたのでした。


この家から引っ越したのは、「この家は、また泥棒に狙われやすい」と言われたからだそうです。

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第1章のあとがき(1)

書いているうちに記憶が戻ってくるものですが、まぁ最初にフィクションであると断っているので、脚色した部分もあります。

第1章の前半部は、「無口な子」の正体と「チビの話」がメインとなります。

「チビの話」は、前半に楽しい話をたくさん持ってきて、後に続く悲劇を書くことで、とても「悲しい物語」として書くことも出来たのですが、淡々と書いていくことを選択しました。


■第1話・ハーフ

ハーフという言葉ですが、これは私が生まれた当時に作られた言葉だったみたいです。

当時は「混血」とも言われていたらしいですが、今聞けば差別用語的にも感じられます。

実際、本当にハーフと言われたかは疑問なのですが、母親が言うのだから仕方ありません(笑)

私の茶色い髪と天然パーマは、半年ほどで黒毛の直毛となりました。

私の次男が天然パーマなのですが、どこかにDNAがあるのかもしれませんけどね。


■第2話・チビ

旭が丘には、1才くらいから5才頃まで住んでいました。

この家は、父の仕事先(元請)の社長さんの紹介で、この社長さんも近所に住んでいました。

私の記憶が始まるのは4~5歳ころからですから、この家が私のスタート地点みたいなものです。

庭や家が広いという記憶があるのですが、子供なのでそのように感じたのかもしれません。

ただ、今はギャラリーになっていますから、そこそこの広さがあったと思います。


■第3話・首輪のはずし方

チビは父の師匠が飼っていたシェパードの子供をいただいたという話でした。

当時は、野良犬というのも多く、首輪の有無が大切でした。

しかし、チビは本当に頭の良い犬でしたね。


■第4話・ヒグマとの死闘

実話です(笑)

ただ場所は中山峠では無かったかもしれません。


■第5話・噛みつく

とにかく「かじる」子供だったみたいです(笑)

特に「柔らかいところ」を狙っていたみたいです(肉食系)


■第6話・虫きり

これは判断が難しいでしょうね。

虫切りの手順は、後で聞いた話を書いているので、実際、何かトリックのようなものがあった・・・かもしれません(笑)

ただ、本当にこの日を境に「かじる」ことは少なくなりました。

まぁ、少なくなっただけであって・・・・。

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第18話・ペコちゃん

今では、一人一台携帯電話を持っている時代ですが、当時はまだまだ全世帯に電話は普及していまない時でした。

そのころから、父の仕事が順調になってきました。

仕事用に我が家に「電話機」が設置されました。

まぁ、電話はあっても、冷蔵庫も洗濯機も無い家でしたけどね。

しかし、何となく「お金持ち」になった気分になり、スネ夫に自慢しましたが、当然のことながらスネ夫の家にも電話が設置されていました。


サザエさんを見ていると、電話は廊下にありますが、当時、電話は廊下か玄関にあるものでした。

我が家の電話も玄関に置かれていました。

それは、近所の人にも使えるようにとの配慮からでした。

実際、我が家の電話もご近所の人が勝手に使っていきます。

もちろんタダで使っていくのではなく、電話を掛ける前に電電公社(今のNTT)に連絡し、用件が済むと使用料金がいくらになっていたを電電公社が知らせてくれるシステムでした。

なので、当時は出かける時も玄関にカギをかけることは少なかったと思います。

我が家の電話は、大家さんと隣のサクラダさんがよく使っていました。

電話を掛けるということは、相手から電話が掛かってくる、ということでもあります。


大家さんやサクラダさん宛てに電話が掛かってくると、知らせに行くのがボクの役目でした。

ボクの家は平屋でしたが、大家さんの家は2階建てで、1階部分を大家さんが使い、2階をアパートにしてサクラダさんに貸していました。


このサクラダさんの家には、ボクと同じ歳の女の子がいました。

髪型から顔まで「不二家のペコちゃん」とソックリな子です。


同じ歳の子がいるということで、サクラダさんとは家族ぐるみのお付き合いでした。

母が用事でいない時は、サクラダさんの家でお昼ごはんを食べさせてもらいました。


もちろん、ペコちゃんとも遊ぶことが多いのですが、そこは女の子。

まぁ、うるさいくらいに喋ります。


知的障害を疑われるほど「無口な子」だったボクが、スネ夫などの同年代の子供たちと交友を持てるようになった理由。

それは、ペコちゃんと付き合って遊ぶうち、自然に身についてしまったのです。

もうそこには「無口な子」はいなく、ウルサイと叱られる子だけがいました。

18ペコ
プライベートを配慮しボカシましたが、ペコちゃんに似ているでしょ。


第1章「無口な子」(完)

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第17話・ポッポ

近所の子供が幼稚園に行っている間は、遊び相手がいません。
(なかよしこども館は毎日では無かった)

一人で遊ぶことが多かったのですが、遊び場所は決まって2箇所でした。

ひとつは、近くの寺院の敷地で、夏にはセミが採れました。

もう一か所は、三角形の形をした児童公園でした。

これは、かなり後に分かることですが、同じ時期に嫁さんもこの近所に住んでいて、その公園で遊んでいたそうです。

もしかしたら、一緒に遊んでいたかも知れません。

また義兄も、寺院の敷地で遊んでいたらしいのですが、私の記憶にセミの抜け殻をくれた年上の子供があるのですが、もしかすると・・・・。


まぁ、嫁さんも義兄も幼稚園組だったので、私はやはり一人で遊ぶことが多かったです。


ある日、父がモゾモゾと動く箱を持ってきました。

箱を空けると、中に白いキレイなハトがいました。

何でも、鳩レースが趣味の建主さんにチビの話をしたところ、息子さんも寂しいだろうと言って、ハトを1羽くれたのだそうだ。


鳩なので名前はポッポ・・・いつもながらペットの名前にセンスのない一家である・・。

ちなみに、その後も両親は九官鳥や文鳥を飼っていたが、九官鳥の名前は九ちゃんで、文鳥の名前はピーちゃんだった・・・(笑)

ポッポは、ほぼ放し飼いでした。

と言っても、小さな小屋は用意してあり、エサはそこで食べていましたし、夜は小屋のカギは締められていました。

自由に放しても、ほとんどが見える範囲で飛んでいて、ボクが走り出すと空から降りてきて私の横を飛び過ぎるのです。

そして、ひるがえって私の肩にとまります。


ポッポと1年ほど過ごしたある日、いつものように放していると、空に鳥の集団が現れました。

ポッポは、その集団に呑みこまれると二度とボクのところに戻っては来ませんでした・・・。


しばらくして、ポッポをくれた建主さんから連絡が来ました。

何でも、秋田(青森だったかな)の鳩レース愛好家から、ポッポを預かっているという連絡があったとのことでした。

ポッポは、鳩レースの集団に紛れ込み、そのまま秋田まで行ってしまったらしいのです。
(足についていたリングに建主さんの連絡先が刻んであったらしい)

ポッポもレース鳩としてボクより仲間たちと一緒にいる方を選んだのでしょう。

ボクは何の迷いもなく、本当にあっさりと

「ポッポは友達と一緒にいる方が楽しいだろうから・・・」
「そのまま・・にしておいて」と言いました。


ホッとしたのは、秋田に引き取りにいかなければならないかと考えていた両親だったかも知れません(笑)

「次のレースにポッポを出場させる、もしも家に戻るかも知れない」
と言われましたが、ポッポの小屋はいつまでも空き部屋でした。
17ぽっぽ
ポッポとボク

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第16話・自分の部屋

仲が悪いクセにスネ夫の家にはよく遊びに行きました。

スネ夫ママの「おやつ」がお目当てで、プリンやババロアと言ったボクにとって未知のモノを食べさせてくれました。

もしかすると自分の家にも「プリン」「ココア」があったのかも知れませんが、私の記憶の中には「初めてのプリン」「初めてのココア」はスネ夫の家です。

もうひとつ書き加えると、スネ夫の「苗字」「家の場所」も忘れてしまっています。

しかし、「食べたもの」はシッカリと忘れていないのは何とも・・・。


ただ、スネ夫パパに「ちょっと、クルマに乗れ」・・・と言われたときのシーンは鮮明でして、家の形や玄関、居間から見えた庭の風景は記憶に残っています。

そうそう、スネ夫の部屋も記憶にあります。

その頃、スネ夫は「自分の部屋」というのを持っていて、学習机と本棚、そして「ベッド」というモノが置かれていました。

本棚には「百科事典」がズラリと並び、学習机の上には「地球儀」が置かれていました。

外国製だという地球儀は、触ると山の部分が盛り上がっていました。

良く見ると、「赤道」はシールのようなモノを貼っているだけです。

ちょっとだけ悔しい思いをしたボクは、カリカリとシールをめくってしまいました(笑)

さすがに、全部をめくることはしませんでしたが、1cmほどめくられた赤道は、地球儀を回転させるとアームに当たり、カツカツと音を立てました(笑)

ココで一人で寝ているというスネ夫の自慢話を聞き、とてもスネ夫が大人に感じました。

羨ましい限りでしたが、さすがにコレばかりは「みんなが持って、ボクだけ持っていない」というセリフが通じないことは子供ながらに知っています。



ある日のこと、母が「模様替え」をしていました。

そのころ、ウチにある家具は「全て」が父の手作りで、重厚な家具ばかりです。

模様替えするのも大変だったと思います。

母がタンスを動かしている時、部屋の角に「半畳ほど」のスペースができていました。

ボクはそれを見逃しませんでした。

そこを確保すると「ボクの部屋にする」と宣言し、テコでも動きません・・・。

結局、根負けした母は、タンスに囲まれた半畳ほどのスペースをボクに明け渡しました。

タンスに囲まれた小さな小さな場所ですが、自分専用の場所ができたのは嬉しいことでした。
16私の部屋

実は、今でも一人で過ごす時は、広い場所より「狭い空間」が落ち着くのですが、それはこのころからなのでしょう。


自分専用のスペースとはいえ、半畳ほどでしかありませんから、「寝る」ことはできません。

スネ夫がベッドで一人で寝ているだろう時、ウチは布団を敷き、家族3人、それこそ「川」の字になって寝ていました。

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第15話・パーマン

父は、この時、商店の改装工事をしていました。

元は「駄菓子」を扱っている店だったのですが、時代の変化もあり駄菓子屋さんから喫茶店に改装するそうです。

父は、そこから店内展示用のパーマンの空気ビニール人形をもらってきました。

似たような空気ビニール人形は売っていましたが、販売促進用はレアだったのかも知れません。

当然、スネ夫も持っていませんでした。

悔しがるスネ夫に優越感を感じましたし、とても嬉しい気分でした。
(性格悪いね・・)

あまりにも喜ぶボクの姿を見た父は、改装工事をしていた期間、毎日一品「お土産」を持ってきてくれました。

ただ、センスはありません。

紐を引っ張るとおしゃべりする九官鳥を1日1羽ずつとか・・・・。

まぁ、店舗でいらないものをいただいてくるのですから、センスも何も無かったのかもしれませんけどね。


今思えば、それらをキレイに保存しておけば、相当なコレクションになったかもしれません(笑)


当時のボクは、そんな先見の明は無く、片っ端から破壊していきました。

かろうじて、従姉にあげた九官鳥が祖母の所に保管されていただけでした。


一応、一人っ子でしたから、貧乏ながらも甘やかされて育っていました。

当時は、お菓子を買うと懸賞でプレゼントがもらえるという企画が多かったのですが、父はお菓子問屋に勤める同級生から「箱単位」でお菓子を購入していました。

特に「みんなが持って、ボクだけ持っていない」というセリフに弱く、欲しいものがあるたびに多用していました。

小学2年の時に「みんなが自転車を持っている」と言い、親が担任の先生に問い合わせしてバレるまで、このセリフは通用したものです・・・(笑)

おもちゃ類は、そんなに多くは持っていませんでした。

「無駄なものは買わない」という親でしたから。
(お菓子を懸賞のために箱買いするくせにね)

ただ、親類の家に行くなどの「長旅」があるときは「おもちゃ」を買ってもらえました。

汽車(北海道ではディーゼル機関車を汽車と言う)に乗るときには、必ず、マルス・ステーションデパートの「おもちゃ屋さん」で何か買ってもらえました。

記憶に残っているのは、西部開拓時代のブリキの蒸気機関車や壁に当たっても方向を変えて走るブリキのパトロールカーなどかな。

どちらも「音と光」が出るものでした。

円山の家は2部屋だけだったのですが、ふすまを締め電気を消した真っ暗な1部屋にこもり「音と光」を楽しんでいました。
(く・・くらい・・・)

あと記憶にあるのは、木のブロックと「レゴ」でした。

木のブロックは、文字や数字が書いてあるものですが、そんな文字はどうでもよく(笑)、積み上げてビルを作りました。

レゴブロックは、基本ブロックを20個ほど持っていた程度ですか、それを組み合わせて「自動車」を作り、畳の縁を道路に見立てて遊んでいました。

ビルと道路があれば、そこには当然「怪獣」が出てくるわけで・・・・。

空気ビニールの「パーマン」「怪獣」となり、ビルを破壊していますが、そこに正義ヒーローであるボクが登場し、最後は、ボクの繰り出すアイアンクローに敗れ去って(破れさって)いったのです・・。

おもちゃ
汽車で函館に行ったときに勝ってもらったピストルのおもちゃ
(なぜ困った顔をしているかは不明・・)

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第14話・スネ夫一家

スネ夫パパからの「手打ち」の条件(笑)は、ガキのケンカには口を出したくないが、噛みつきは卑怯だ(確かに・・・笑)

噛みついたことだけ、息子に謝ってくれ・・ということでした。

それは一言「ゴメン」で済みました。

でも、その一言からスネ夫と遊ぶことが増えました。

・・・が、やはり小さなイザコザは多発し、何度かケンカにはなりました。

しかし、「噛みつき」だけしなければ、スネ夫パパが出てくることはありませんでした。


このころから、父はかなり忙しくなります。

日曜も仕事なのでどこかに遊びに行くことはありませんでした。


ある日曜日のこと、

「俺はジャイア~ン」と唄いながら歩いていると(ウソ)、スネ夫パパが声を掛けてきました。

「ちょっと、クルマに乗れ」

黒塗りの大きな車に乗せられると、車は山の方角に向かって走り出しました。

子供心にヤバイ・・・かな・・と思いましたが、すぐに車は5分ほどで停まりました。

そこは「動物園」でした。

スネ夫一家と私の4人を降ろすと、「坊ちゃんの家に連絡しておけよ」とスネ夫パパは運転手に声をかけました。

「ヘイ、ガキは預かったと伝えておきます」と言って車は戻っていきました。

(ゴメン・・これも誇張しちゃいました・・汗)


スネ夫パパは日曜日も遊びに行くことのないボクに気をかけてくれたのでしょう。

動物園でも「キリンは何て鳴くか知っているか?」などとボクに声をかまってくれました。
(私も仕方なく、付き合いでキリーーンって鳴く、などと答えてやりました・・・大人の相手は疲れます)

スネ夫ママも「ランチはサンドウィッチィざます」と言ってボクの分まで用意してくれていました。
(多分、初めて食べたサンドイッチかもしれない)

帰りは下り坂ですし、動物園からは子供の足で歩いても20分ほどで帰れます。

3人仲良く歩く姿は、羨ましく感じました。

スネ夫もそれを感じてか、「パパ肩車して!」などと言って、私に見せつけようとします。

「キヨシお兄ちゃんの肩車の方がずっと楽しいやい」と言うと、またちょっと寂しくなりました・・・。

「お前も肩車してやるか?」

とスネ夫パパが言っと振り向きましたが、がつくほどの健康優良児体型のボクを見て、「しまった・・」という顔をします。

ボクも心得ていて、「大丈~夫」と青影のポーズで元気に答えました。
(やっぱり、大人の相手は疲れます・・・笑)

14動物園
当時の円山動物園(左がボク、中央が叔母、右が母)

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第13話・木佐キザオ

次の引っ越し先は、円山でした。

今でいう「裏参道」という所です。

おんぼろアパートは、この円山の家を探す間の一時しのぎだったみたいです。

ボクはココから「仲よし子ども館」に通いました。

札幌市の人口は、このころ急激に増えていて、子供も多くなったのですが幼稚園などが少なく、幼稚園に行けない子が多かったのです。

そこで、市内各地に「仲よし子ども館」という青空教室を作っていたのでした。


しかし、近所に住む、同じ歳の多くの子は幼稚園に通っています。

幼稚園の数も少なかったのですが、我が家は貧乏で私は幼稚園に通うことが出来なかったのです。
(父は、事あるごとに、私を幼稚園に行かせならなかったことを悔やんでいた)

当の私は気にもしないのですが、子供のコミュニティの中では「差」はあったのかも知れません。


その差を感じたのは、木佐キザオとの出会いでした。

このあたりも「お金持ち」が多い地区で、オバケのQ太郎に出てくる木佐キザオみたいな子がいたのです。
キザオ


・・・うーーん・・・、木佐キザオはメジャーじゃないな・・・(笑)

もとい・・・・、ドラえもんに出てくるスネ夫みたいな子がいたのです。

まぁ、体格はジャイアンな私ですが、ドラえもんと違うのはスネ夫はジャイアンの子分ではないことです。

とにかく、ボクとスネ夫は事あるごとに対立するのでした。

「うちのパパはお金持ち」

「ウチのパパの仕事は社長」

「お前のパパの仕事は何だ?」


「うーん・・、とうりょう・・?・・・おやかた、とも言われる・・」

「なに、とうりょうって?? 社長でも部長でも無いならダメだな」

何となく、父親がバカにされているのは分かります・・・。


爪から出て行った白いモノが、また爪に戻っていった気がします・・・・。



それは大事でした。

スネ夫のパパは社長ではなく、組長と呼ばれる人でした。
(スネ夫のウソツキめ)


しかし、父も黙ってはいませんでした。

宮大工で修業した父ですが、そんなに寺社仏閣の仕事があるわけではなく、茶室のある家などの高級住宅を建てていました。

そんな家を建てる「建主さん」も、やはり社長とか組長と呼ばれる人がいたみたいです。

後で知った話ですが、父を気に入っていた組長さんと、スネ夫のパパは、当時本当に対立していたらしいです。

しかし、子供のケンカを発端にした抗争になるようなことはありませんでした(当たり前か)

まぁ、後日談として母は「あの時は大変だった・・」と言っていましたから、影で何があったかは「謎」です。

13こども館
「なかよし子ども館」のバスと

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第12話・ジェロニモ

泥棒は、母の安い指輪などを盗んだだけで、それ以外は何も盗まなかったみたいです。

まぁ、大きな家(当然借家)には住んでいましたが、中身はとても貧乏で盗むものなど何もなかったのです。

ボクはこの家が凄くお気に入りでした。

広い土間で、お正月に餅つきをした記憶も残っていますし、平屋の広い居間は走り回るのに最高でした。

そして、庭も広く、大きな2本の木とその間を走り回るシェパード犬・・。


しかし、泥棒事件のあと、すぐに引っ越すことになりました。

チビが泥棒を捕まえて帰ってきたら迷子になるよ・・という私に、ちゃんと近所の人に言っているから大丈夫、とだけ伝えられました。

お弟子さん達も、私たちは別の場所に住むことになりました。

引っ越し先は、6戸ほどが入居するオンボロなアパートでした。

今思えば、その頃が貧乏の絶頂期だったかもしれません。


遊び相手のチビも、初めての人間の友達のカマダ君たちとも離れました。

一人で遊んでいた時は寂しさを感じませんでしたが、一度、友達と遊ぶ楽しさを知ってしまうと、一人で遊ぶことはつまらないのです。

お弟子さん達もいなくなり、食卓も寂しくなりました。


アパートの前は市電も通る広い道路で、危ないと注意されていました。

住んでいたのは、アパートの1階でしたが、外の階段から2階の踊り場に上がり、ずっと風景を見ていました。

近くに市電の車庫があり、2階の踊り場から電車が行ったり来たりと動いているのが見えたからです。

「電車が好きなのか?」

後ろからの声に振り向くと、サイボーグ005のジェロニモのような大きな男が立っていました。
ジェロニモ


ジェロニモは後ろからヒョイとボクを持ち上げて、肩車をしてくれました。

踊り場から見える風景が一変しました。

遠くに見えるテレビ塔と同じ高さになったと感じました。


ジェロニモはキヨシという名前で、お母さんと二人っきりでアパートの2階に住んでいます。

多分、当時は20才くらいじゃないかと思います。

お父さんは、アメリカの兵隊さんでベトナムという所に行っていて、その間、お母さんが生まれ育った北海道に来たらしいです。

しかし、お母さんの実家ではなく、札幌のおんぼろアパートに住んでいた事情などは、子供には分からないことでした。


ボクは、ジェロニモを見つけるたびに肩車をせがみました。

2階の踊り場から肩車しながら階段を下りる時のスリルも最高でした。


特に記憶に残っている思い出は、アパートの住人が集まり、ご飯を食べたことです。

外にテーブルを出し、アパートの住民が一品ずつ持ち寄っての夕食は、お弟子さんたちがいた頃の食卓より賑やかでした。


しかし、その楽しいときも短く、私たちはまた引越しをすることになりました・・・。

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第11話・チビ失踪

お盆になりました。

父やお弟子さん達も長期の休み(と言っても4日程度だったが・・)で、父の実家のお墓参りに行きます。

お弟子さん達も父の実家と同じ町の出身ですから、みんなで帰省です。


キレイな海が自慢の町で、たっぷりと、そしてノンビリと過ごして、札幌に帰ってきました。


家に着くと・・・、大人たちは何か異変に気づいて騒ぎ始めました。

車から降りるな・・と言われ、おとなしくしていると、やがてパトカーがやってきました。

お巡りさんや背広を着たおじさんが家の中に入っていきます。

ボクは間近でパトカーを見たくて、車から降りました。

パトカーを見ていると、お巡りさんたちが、玄関や窓を調べています。

「お巡りさん、何しているの?」

「必ず、どろぼうは捕まえるからね」

そうお巡りさんは言いました。

4才くらいでしたから、泥棒が物を盗む悪い人だとは知っていました。

家に入ると、父も母もお弟子さん達も泣いていました。

きっと大切なものを盗まれたのだろうと、母をなぐさめに行きました。

そうだ、留守番をしていたチビはどうしたのだろう・・・。

庭を見に行こうとすると、

「ダメだ!!」
という怒鳴り声とともにお兄ちゃん(一番上のお弟子さん)が私を止めました。

後にも先にも、お兄ちゃんに怒鳴られたのは、この時だけです。



翌日、恐る恐る庭に出ると、そこにチビの姿はありませんでした。

鎖も首輪もありません。

犬小屋とワイヤーだけが残っていました。


「チビはどうしたの?」

「多分、泥棒を追いかけていったんだ」とお兄ちゃんは言いました。

「じゃあ、泥棒を捕まえて戻ってくるね」

しかし、二度とチビと会うことはありませんでした・・・。

そして、この先、両親は二度と犬を飼うことはありませんでした。





チビのことは大人になっても、真実は教えてもらっていません。

ただ後々、ジステンバーで死んだと言ったり、様々なツジツマの合わないことは聞きました。
(私もジステンバーを調べて、ウソだと気付きましたし・・・

私も、追求することはしませんでした。

これは、想像ですが、家の異常に気づき吠えたチビに泥棒は何らかの危害を加えたのではないか・・と感じています。

庭には、父が仕事で使っていた、角材や鉄パイプが泥棒騒動の後、きれいに片づけられたことは記憶に残っています。

また、キチンと埋葬したとお兄ちゃんが口を滑らせたことがあります。

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第10話・名犬チビ

ワンワンワンワン!

普段、吠えたことのないチビが吠えています。

それも庭ではなく玄関側で聞こえます。

母は異常を感じ、玄関を開けました。

そこには首輪をしていないチビがいます。

「どうしたの!?」
と言う間もなく、袖口を咥え母を引っ張ります。

大人とは言え、全力で引っ張るシェパードにはかないません。

サンダルを履くことが手一杯らしかったです。

近所の人も、滅多に吠えないチビの声を聞き、何事かと出てきました。

母もボクに何かがあったことは感じていました。

そのままチビの後を走って公園に向かいます。



そのころには、ボクはもう立ち上がっていました。

泣いていたボクを立たせ、心配そうに声をかけるカマダ軍団を割って、母が到着しました。


ボクがイジメられていると思ったのか、すぐにカマダ君に事情を聞き、その後「頭はぶつけていないか」などと聞いてきます。

ボクは「仮面の忍者 青影」のポーズをしていました・・・。



頭の良いチビと頭の悪いボク(笑)の評判はすぐに近所に広まりました。

チビはラッシー以上の名犬とも言われました。


「おっ! 今日は名犬チビと一緒じゃないのか!?」

「ボクが一人で歩いていると心配だなぁ・・」

などと言われましたが、それはチビが褒められてるのだと思い、誇りに感じていました(笑)

名犬チビのウワサは父の知るところにもなりました。

しかし、ボクは父にはウソをついていました。

母に言わずにチビの首輪を外したことを言わなかったのです。

チビが自分で首輪抜けしたのだと思った父は、チビの首輪の穴を一つ小さく締めました。

実際、チビは私と遊ぶときに、何度か自分で首輪抜けをしていました。


後で思えば、これが大きな私の心残りになるのです・・・。

9すべり台
高台にあった家からは札幌の町が一望できました。
まだまだビルが少ないね

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第9話・すべり台事件

翌日、コッソリと公園をのぞき見ると、カマダ軍団が太めの木の枝をそれぞれが手に持ってビュンビュン振り回していました。

対私用の武器でしょうか・・・

子供心に「これはマズイな・・・」と感じました。

体の大きさこそ変わりませんが、相手は4才も年上で人数も5人です。

しかし、ここで引き下がるのも、釈然としません。

いったん家に戻り、庭へまわります。

そこには、ボクの一番の親友であり、格闘技の師匠(笑)であるチビが尻尾を振って待っていました。



父に教わった通りにチビの首輪を外します。

「首輪を外して遊ぶときは必ず母に言うこと」という約束は守りませんでした。

チビを連れて公園に行くことを、それもカマダ軍団を威嚇するために・・などと言えません。

反対され、怒られるのはハッキリしています。


母が家事をしている姿を確認し、見つからないようにチビを連れ出します。


庭の垣根から出る時に躊躇したチビでしたが、すぐに先を歩くボクの横にピタリとくっついてきました。



私の作戦は大成功でした。

カマダ軍団といえど小学2年生ですから、大型のシェパード犬にはビビリます。

その日の公園は私の思い通りに使えるようになりました。

しかし、そこは子供。

そうなってしまうと、一人で遊んでもツマラナイのです。

遊具で遊んでいても、「楽し~いな~」などとひとり言を言って、カマダ軍団の関心を引こうとします。

カマダ軍団も私に関心が無いことを装っていますから、なおのこと気を引こうとエスカレートしていきます。

そして、公園の一番高い場所、すべり台の踊り場に陣取りました。

「オーーイ」と言って、悔しそうに遠巻きで見ているカマダ軍団に見せびらかすように身を乗り出しました。

スロープ側の手すりに足を掛けた途端、スルッと下に落ちました・・・・。


ドスン!

落ちた痛みよりも、驚きの方が大きかったと思います・・。

ボクは泣き出してしまいました・・・。


チビの顔が一瞬目の前にありましたが、大きな声を出しながらコチラに向かって来るカマダ軍団に驚いたのか、すぐにボクの前からいなくなりました・・・。

7どんぐり
三輪車で遊ぶボク

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第8話・カマダ軍団

後日、どんなことをやらされたかは記憶にありませんが、結果は「問題なし」

というか、かなり凄い数字を出したらしく、この子は勉強しなくても東大に行けますよ、と言われたらしい。

心配無い、それも東大を狙える知能と聞いた母は、すっかりご機嫌でした。

事実、私は親から「勉強しなさい」と言われたことは一度もありませんでした。

勉強しなくても東大に行ける・・というのを信じたのかもしれません・・・・。

残念ながら、東大なんて程遠い学力だと気付くのは10年後の話です・・・(笑)


今思えば、子供のころから周りに世話を焼いてくれる大人がたくさんいました。

家には、お弟子さんという18、19才の人がいて、よく遊んでくれましたが、それは「あそんでくれた」よりは「かまってくれた」が正しいのかもしれません。

甘やかされていた面もあり、多くを語らずとも、意味を察してくれたのが原因かもしれません。

また、忙しそうな大人の気を引くために「言葉」を単語で区切ったり、言葉を間違えるなど物覚えが悪い振りをして、大人が関心を持ってくれるのを期待していたのかも知れません。

言葉を「おもしろいように」間違えると、大人が笑ってくれ、自分も楽しかったのでしょう。

「どんぐりコロコロ」だって、間違えて唄うと大人が笑ってくれました。


また、同年齢の子に対しては、「かんの虫」のおかげで、すぐに噛みつき(笑)、母が謝っている姿ばかり見ていましたから、子供と遊ばないことが一番良いことだと、子供ながらに考えていたのでしょう。

現に、その後、同じ年の「おしゃべりな女の子」と友達になってからは、ウルサイと言われるくらいペラペラと喋る子供になっていくのです。
(それはまた、後の話とするが・・・)



「かんの虫」がいなくなりましたが、それでも、友達がいないのは変わりません。

高台に住んでいたので「崖」側に遊びに行くことは禁じられていました。

まだまだ自然の多い場所でしたが、遊ぶのは近所の公園となります。

しかし、その公園は小学2年生のカマダ君とその仲間たち(通称 カマダ軍団)が占領していました。

ボクがブランコに乗ろうとすると 

「ダーーーーメーーー」と言ってブランコを占領されます。

すべり台に乗ろうとすると

「ダーーーーメーーー」と言って階段をふさがれます。

砂場でトンネルを掘っていると、トンネルが壊されます。


このようなことをされると「噛みつく」私ですが、「虫切り」をしてしまってからは、すっかりとおとなしくなってしまいました・・・。

噛みつかず、砂を握ってカマダ君の顔をめがけて投げつけ、そのまま走って逃げました。

「お・・おぼえてやがれっ」
と前日放送された銭形平次で聞いたセリフが後ろから聞こえてきました。


8カマダ軍団
こうやって一人で遊ぶことが多かった・・・
(写真は大通公園)

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第7話・どんぐりコロコロ


ボクの知的障害を心配した両親は保健所に相談に行きました。

ある程度、発育していかないと診断できない部分もあったみたいで、1歳児検診で指摘されてから2年ほど後になりました。
(ちなみに私の記憶には無い出来事なので、親の話から想像した話です・・笑)



「この子は物覚えも悪く、会話も上手にできません」

「ほぉ、ボクは何才だい?」
ボクは黙って、それも面倒くさそうに、指を4本立てました。


「例えばボクシングって言えなくて、何度教えても、ボシグングンとしか・・・」

と言う母を無視して、白衣のおじさんは、いつもは何して遊んでいるか・・などと質問ばかりしてきます。

「・・いぬ・・と・・」

「えっ? 犬と何しているのかな」

「・・あそぶ・・」

「あ~っ! 犬と遊んでいるんだ」

何を聞かれたかは忘れましたが、とにかく面倒で不快な気がしました。

何をして遊ぶという質問ですから、「遊ぶ」という言葉は必要ではなく、「犬と」だけで通じないの?

多分、そんなことを思っていたのでしょう。
(ひねくれているのはこのころからですねぇ)

その中で唯一、嬉しい質問が来ました。

「ボク、好きな歌ななぁに?」
ボクは元気よく、それもニッコリ笑って返事しました。

「どんぐりコロコロ!!」

「じゃあ、唄ってみてくれるかな?」

「潜水艦のことなんか、何度教えても、すいせんかんとしか・・」
と言っていた母もココで黙りました。


♪どんぐりころころ ドンブリコ

お池にはまって さ~大変

どじょうが出て来て さ~大変

坊ちゃん一緒に さ~大変♪




壊れたレコードのように「さ~大変」がエンドレスで唄われます・・・。


「一応、大丈夫だと思いますが、キチンと調べてみますか」
白衣のおじさんは言いました・・・。


6虫切り
父の仕事場で・・・
確かに、口半開きのパンツ姿は、心配もしますわね・・

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