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北小路 肉丸の自分史・・つまり「肉丸史」

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第1章のあとがき(3)

第1章のあとがき(2)

第1章の後半は、スネ夫との話がメインです。

ペコちゃんとの出会いから、ボクは変わっていくのですが、それは第1章で書かずに次の章でのお話にして、スネ夫とボクの比較をすることで、当時の生活を表しました。

また、文中「幼稚園」に行っていないことになっていますが、母親学園という札幌市で行っていた保育園?には通っていました。
(ただ、ココは全く記憶が無い・・・笑)


■第12話・ジェロニモ

キヨシというのは仮名です。

本当は違う名前なのですが、珍しい名前でその1文字だけ使わせてもらいました。

このアパートは、今の市立図書館のそばで、ココには3ケ月ほどしか住んでいなかったと思います。

本当は、キヨシの母親のことや、ベトナム戦争のことなども書きたかったのですが、子供のころのボクには、知る話では無いので書きませんでした。

親から後で聞いた話では、ココにも悲しい話があったみたいです。


■第13話・木佐キザオ

途中でキザオからスネ夫に代わってしまいました(笑)

今ではスネ夫の方が有名なのでスネ夫としましたが、ボクらは、この子のことを陰でキザオと呼んでいました。

当時の子供たちのコミュニティの中に、このようなイヤミな子は必ずいたと思います。

彼のお父さんは組長ではなく社長です。

が、本当に「裏の顔」があったのも事実です(笑)

ちなみに、今でも社長さんをしていた「会社」はありますが、時代とともにシステムも変わっていったと思います(意味深)


■第14話・スネ夫一家

息子はキライでしたが(笑)、この家族は好きでした。

アメリカのテレビドラマに出てくるような家族で、「文化的」というセリフがお似合いの家でした。

「職人気質」というウチとは真逆なのも新鮮に感じたのかもしれません。


■第15話・パーマン


駄菓子屋を何かの店に改装していたのは確かですが、「喫茶店に改装」はウソ。

しかし、当時、近所に喫茶店が何件も出来ていたので、あえて時代を感じさせようと喫茶店にしました。

おしゃべり九官鳥はグリコアーモンドチョコレートの懸賞で、何種類かあったと思います。

全種類を店でディスプレイしていたらしく、それをもらってきたらしいです。


ちなみに森永が「おもちゃの缶詰」を出した時、1ケース買えば必ずもらえるという話をお菓子屋の同級生に聞き、父はチョコボールを1ケース買ってきました。
(当然、金のエンゼルがあった・・・笑)

父は同級生にとって、良いお客さんでした。


■第16話・自分の部屋

スネ夫の持っていたのはリーダースダイジェスト社製の地球儀で、そのブランド名は今でも覚えています。

というか、小学校入学時に地球儀を買ってもらうのですが、リーダースダイジェストの地球儀じゃなきゃヤダと言いだし、最終的に買ってもらいました(爆)

当時でも高いモノだったと思います。



■第17話・ポッポ

夜、目を覚ますと何やら「お経」が聞こえてきました。

それは翌日も、その翌日も・・・・。

ボクは恐る恐る、起きだして、家を出て、お経のする場所を探しました・・・。

で、見つけたのが近所のお寺(笑)

寺の境内で遊ぶ子供は少なくて、結構自由に遊んでいました。


この後、秋田(青森だったかな)の鳩レース愛好家の人が、ポッポをレースに使ったのですが、帰ってこなかったみたいで、札幌に戻っていないかと連絡があったらしいです。

残念ながら、戻ってきませんでしたが、大通公園などで白いハトを見ると、ポッポでは無いかと思い、声をかけたりしていました。


■第18話・ペコちゃん

サクラダさんというのも仮名です。



次回からの第2章の前半は、この「ペコちゃん」との話がメインになると思います。
また、後半は「ボクの才能」が開花されていくわけですが・・・。

第2章はゴールデンウィーク明けから開始。






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第1章のあとがき(2)

■第7話・どんぐりコロコロ

この歌は、後に出てくるカマダ君から教えてもらった歌です。

というか、カマダ君が間違えて覚えていた歌です(笑)


■第8話・カマダ軍団

どのような知能検査を行ったかは覚えていません。
(そもそも、行ったかも疑問・・・笑)

ただ、知能指数は数字として残されています。
(あえて書きませんが・・・)

きっと、計算の仕方や環境などで変わるのだと思います。

今の自分を見ても、計算間違いがあったのだとも思いますもの。。

■第9話・すべり台事件

実は、ずーーっと大人になってから、カマダ君の母親が近所に引っ越してきました。

町内のお祭りで実家を訪ねたカマダ君と一度だけ再会しています。

その後もカマダ君のお母さんにはお世話になり、私の母のお葬式もお手伝いしてくれました。
(この話はズーーッと後に書くかもしれない)


■第10話・名犬チビ

両親はチビの話をすることが少なかったのですが、この「すべり台事件」だけはよく話してくれました。

なので、母親目線で話を書いています。


■第11話・チビ失踪

住んでいた家は、高台の谷側にあり、また道路の角にあり、かつ、近所の家からも死角になっているという、泥棒が狙うのに最適な場所でした。

道路からは庭はまったく見えず、庭に犬が飼われていることも分からないでしょう。

当時は、犯人を追いかけていった、というのを信じていましたし疑問も感じませんでした。

大人になってから「埋葬した」という話を聞き、思い返して疑問点がたくさん出てきたのでした。


この家から引っ越したのは、「この家は、また泥棒に狙われやすい」と言われたからだそうです。

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第1章のあとがき(1)

書いているうちに記憶が戻ってくるものですが、まぁ最初にフィクションであると断っているので、脚色した部分もあります。

第1章の前半部は、「無口な子」の正体と「チビの話」がメインとなります。

「チビの話」は、前半に楽しい話をたくさん持ってきて、後に続く悲劇を書くことで、とても「悲しい物語」として書くことも出来たのですが、淡々と書いていくことを選択しました。


■第1話・ハーフ

ハーフという言葉ですが、これは私が生まれた当時に作られた言葉だったみたいです。

当時は「混血」とも言われていたらしいですが、今聞けば差別用語的にも感じられます。

実際、本当にハーフと言われたかは疑問なのですが、母親が言うのだから仕方ありません(笑)

私の茶色い髪と天然パーマは、半年ほどで黒毛の直毛となりました。

私の次男が天然パーマなのですが、どこかにDNAがあるのかもしれませんけどね。


■第2話・チビ

旭が丘には、1才くらいから5才頃まで住んでいました。

この家は、父の仕事先(元請)の社長さんの紹介で、この社長さんも近所に住んでいました。

私の記憶が始まるのは4~5歳ころからですから、この家が私のスタート地点みたいなものです。

庭や家が広いという記憶があるのですが、子供なのでそのように感じたのかもしれません。

ただ、今はギャラリーになっていますから、そこそこの広さがあったと思います。


■第3話・首輪のはずし方

チビは父の師匠が飼っていたシェパードの子供をいただいたという話でした。

当時は、野良犬というのも多く、首輪の有無が大切でした。

しかし、チビは本当に頭の良い犬でしたね。


■第4話・ヒグマとの死闘

実話です(笑)

ただ場所は中山峠では無かったかもしれません。


■第5話・噛みつく

とにかく「かじる」子供だったみたいです(笑)

特に「柔らかいところ」を狙っていたみたいです(肉食系)


■第6話・虫きり

これは判断が難しいでしょうね。

虫切りの手順は、後で聞いた話を書いているので、実際、何かトリックのようなものがあった・・・かもしれません(笑)

ただ、本当にこの日を境に「かじる」ことは少なくなりました。

まぁ、少なくなっただけであって・・・・。

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第18話・ペコちゃん

今では、一人一台携帯電話を持っている時代ですが、当時はまだまだ全世帯に電話は普及していまない時でした。

そのころから、父の仕事が順調になってきました。

仕事用に我が家に「電話機」が設置されました。

まぁ、電話はあっても、冷蔵庫も洗濯機も無い家でしたけどね。

しかし、何となく「お金持ち」になった気分になり、スネ夫に自慢しましたが、当然のことながらスネ夫の家にも電話が設置されていました。


サザエさんを見ていると、電話は廊下にありますが、当時、電話は廊下か玄関にあるものでした。

我が家の電話も玄関に置かれていました。

それは、近所の人にも使えるようにとの配慮からでした。

実際、我が家の電話もご近所の人が勝手に使っていきます。

もちろんタダで使っていくのではなく、電話を掛ける前に電電公社(今のNTT)に連絡し、用件が済むと使用料金がいくらになっていたを電電公社が知らせてくれるシステムでした。

なので、当時は出かける時も玄関にカギをかけることは少なかったと思います。

我が家の電話は、大家さんと隣のサクラダさんがよく使っていました。

電話を掛けるということは、相手から電話が掛かってくる、ということでもあります。


大家さんやサクラダさん宛てに電話が掛かってくると、知らせに行くのがボクの役目でした。

ボクの家は平屋でしたが、大家さんの家は2階建てで、1階部分を大家さんが使い、2階をアパートにしてサクラダさんに貸していました。


このサクラダさんの家には、ボクと同じ歳の女の子がいました。

髪型から顔まで「不二家のペコちゃん」とソックリな子です。


同じ歳の子がいるということで、サクラダさんとは家族ぐるみのお付き合いでした。

母が用事でいない時は、サクラダさんの家でお昼ごはんを食べさせてもらいました。


もちろん、ペコちゃんとも遊ぶことが多いのですが、そこは女の子。

まぁ、うるさいくらいに喋ります。


知的障害を疑われるほど「無口な子」だったボクが、スネ夫などの同年代の子供たちと交友を持てるようになった理由。

それは、ペコちゃんと付き合って遊ぶうち、自然に身についてしまったのです。

もうそこには「無口な子」はいなく、ウルサイと叱られる子だけがいました。

18ペコ
プライベートを配慮しボカシましたが、ペコちゃんに似ているでしょ。


第1章「無口な子」(完)

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第17話・ポッポ

近所の子供が幼稚園に行っている間は、遊び相手がいません。
(なかよしこども館は毎日では無かった)

一人で遊ぶことが多かったのですが、遊び場所は決まって2箇所でした。

ひとつは、近くの寺院の敷地で、夏にはセミが採れました。

もう一か所は、三角形の形をした児童公園でした。

これは、かなり後に分かることですが、同じ時期に嫁さんもこの近所に住んでいて、その公園で遊んでいたそうです。

もしかしたら、一緒に遊んでいたかも知れません。

また義兄も、寺院の敷地で遊んでいたらしいのですが、私の記憶にセミの抜け殻をくれた年上の子供があるのですが、もしかすると・・・・。


まぁ、嫁さんも義兄も幼稚園組だったので、私はやはり一人で遊ぶことが多かったです。


ある日、父がモゾモゾと動く箱を持ってきました。

箱を空けると、中に白いキレイなハトがいました。

何でも、鳩レースが趣味の建主さんにチビの話をしたところ、息子さんも寂しいだろうと言って、ハトを1羽くれたのだそうだ。


鳩なので名前はポッポ・・・いつもながらペットの名前にセンスのない一家である・・。

ちなみに、その後も両親は九官鳥や文鳥を飼っていたが、九官鳥の名前は九ちゃんで、文鳥の名前はピーちゃんだった・・・(笑)

ポッポは、ほぼ放し飼いでした。

と言っても、小さな小屋は用意してあり、エサはそこで食べていましたし、夜は小屋のカギは締められていました。

自由に放しても、ほとんどが見える範囲で飛んでいて、ボクが走り出すと空から降りてきて私の横を飛び過ぎるのです。

そして、ひるがえって私の肩にとまります。


ポッポと1年ほど過ごしたある日、いつものように放していると、空に鳥の集団が現れました。

ポッポは、その集団に呑みこまれると二度とボクのところに戻っては来ませんでした・・・。


しばらくして、ポッポをくれた建主さんから連絡が来ました。

何でも、秋田(青森だったかな)の鳩レース愛好家から、ポッポを預かっているという連絡があったとのことでした。

ポッポは、鳩レースの集団に紛れ込み、そのまま秋田まで行ってしまったらしいのです。
(足についていたリングに建主さんの連絡先が刻んであったらしい)

ポッポもレース鳩としてボクより仲間たちと一緒にいる方を選んだのでしょう。

ボクは何の迷いもなく、本当にあっさりと

「ポッポは友達と一緒にいる方が楽しいだろうから・・・」
「そのまま・・にしておいて」と言いました。


ホッとしたのは、秋田に引き取りにいかなければならないかと考えていた両親だったかも知れません(笑)

「次のレースにポッポを出場させる、もしも家に戻るかも知れない」
と言われましたが、ポッポの小屋はいつまでも空き部屋でした。
17ぽっぽ
ポッポとボク

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