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北小路 肉丸の自分史・・つまり「肉丸史」

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第3章 あとがき

第3章 あとがき

■北海道以前の話

北海道で取れる戸籍の限界でした。
遠野市にも行き古い文献なども調べましたが、よく分からなかったです(笑)
でも、遠野市は同じ苗字の人がたくさんいる場所で、とても懐かしい場所だと思いました。


■曽祖父の話

「特殊な力」というのは、なかなかムズカシイしくマユツバものでもありますが、親戚や地元の人の話から、まんざら嘘ではないと思います。
残念ながら、私は「その能力」を引き継いでいません(笑)
でも、曽祖父から短命の血筋になっていきます・・・・。

■祖父の話

義に厚い人で、自分に厳しい人だったみたいです。
祖父の兄弟の話はあまりされていませんが、戦争で亡くなった方もいるみたいです。
弟は僧侶となり、立派なお寺をやられています。
また、お孫さんは高校野球で全国制覇を成し遂げ、今も野球に携わっています。

■父の話

若くして父は、市内中心部にある三吉神社の改装工事を任せられたみたいです。
そして、そのままススキノに出て行ったみたいですよ(笑)
「その筋」の方と揉めてケガをさせてしまったことがあり、事を収めるのに大変な思いをしたと父の師匠から聞いたことがあります(爆)

外人レスラーですが、実は曖昧でして・・・。
国名が入ったレスラーの名前を聞いていたのですが、ユセフ・○ルコかボ○・ブ○ジルだったか記憶が曖昧です。


■母の話

大人になってから養女だったと知ったことは凄いショックだったらしいです。
実母が迎えに行ったが帰らなかったというのが本当らしいですが、縁が回復した後もしばらくは実母の家には行くことはありませんでした。
しかし、後に兄弟姉妹達とも和解しました。
ちなみに地元出身の大物演歌歌手は「おやじ」の愛称で知られ、紅白のトリも務める大物です(笑)

■両親の話

この話を書くのに時間が掛かったのは「写真」などが無いことも理由でした。
引っ越しの際、多くの写真を処分してしまいましたが、少しでもデジタル化して保存しておけば良かったと後悔しています。
記憶にある中では、父の叔父の出征の写真もありました。
また、母は良家に引き取られたため写真が豊富で子供のころから女学生時代のものまでありました。

一時、ストレスで太ったころの写真もありました(笑)

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第50話 両親の話(父24歳、母22歳)

札幌に来て、1ケ月が経とうとするときに、店に有名なプロレスラーが来店しました。

プロレスの事は知りませんが、店長からは大事なお客さんだと言われ、なるべく「そちら」に向けて歌を唄っていたところ、その外人が「一緒に飲もう」と騒ぎ出しました。

あくまで歌手であり、接客はしませんから断ったところ、外人レスラーが暴れはじめました。

それは、とっても恐ろく、どうしょうもなくなり呆然としていたところ、一人の青年が外人レスラーを制し事が収まりました。

とても安心しましたし、その青年がとても頼りになると感じました。


翌日も、その青年(私の父)は高級クラブにやってきて母の歌を聞いていました。

その店は、当時の札幌でも1、2を争う「高級な店」ですから、青年の収入で店を訪れるのは大変だったと思います。

母にしても、本当に歌手になりたかったわけでは無く、元々は家を出たいための口実でした。

歌手になるという夢をあきらめ、その青年と歩む道を選びました。

それから、1年。

カワイイ男の子(私)が誕生するわけです・・・(笑)

img010.jpg
新婚旅行で母の実家である函館を訪れた写真

第3章 両親の話 完

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第49話 母の話(18歳~21歳)

第49話 母の話(18歳~21歳)

銀行の面接を受ける時に、戸籍を用意するように言われました。

用意した戸籍を見て、母は驚きました。

そこには「養子」と書かれていたのです。

今まで育ててくれた親が実の親では無いことを この時、初めて知りました。

また兄も「養子」であり、家族全員が血の繋がりが無いことを知ったのです。

多感な頃ですから、家族全員が他人というのはショックだったと思います。

養子になった経緯も聞かされますが、理解できなかったみたいです。

何より、本当の両親もすぐ近くに住んでいながら、一度も顔を出していないことに「自分は捨てられた」と思うようになりました。

ショックのあまり、銀行の面接を受けることはできませんでした。

それでも当時の花形職業であったバスガイドになりますが、育ての親や実の親が暮らす函館に住むのが嫌になっていました。

ちょうどその時、バスガイドの最中に唄った母の歌声が良いと評判になりました。

その評判は、地元出身の大物演歌歌手の下にも届き、歌手にならないかと誘われました。

両親のところにいたくなかった母は、即座にその誘いを受けるのですが、すぐに歌手になれるわけではなく、まずは札幌の飲食店でクラブ歌手として働くことになりました。

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第47話 母の話(幼年期)

第47話 母の話(幼年期)


母の祖父は「刀鍛冶」を生業としていました。

戊辰戦争絡みか、あるいは「刀の時代も終わり」新天地を求めてか、函館に居住することになります。

その後、母の父はサハリンの栄浜村(現在名スタロドゥプスコエ)に移住し、そこで母が生まれました。


母が2歳の時の話。

隣町である落合町(現在名ドリンスク)に呉服屋を営み裕福に暮らしている家がありました。

そこの夫婦は子供が出来ず、男の子を養子にしていましたが、女の子も欲しいと思っていました。

そこに、たまたま服を買いに母が祖母と訪れたのです。

その夫婦は、すぐに母を見初め「養子に欲しい」と頼み込みました。

まぁ、突然のことですし、了承するわけはありません。

しかし、その夫婦はあきらめず、その後も母の所にやってきては洋服やらお菓子やらを渡していたそうです。


2歳の子ですから、お菓子をくれる人は好きになります。

そのまま、何度か遊びに行っているうちに、「ウチの子供にならないか?」という誘いに「うん」と返事をしてしまいました。


もちろん、親は許しませんでしたが、迎えに行っても母は押し入れに隠れて出てこず、仕方なく、そのまましばらくの間その家に預けることになりました。

そのころ、戦争の影が母を襲います。

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第46話 父の話(青年編2)

父の師匠という人は「有名な宮大工」だったらしく、いろいろな人脈を持っていたみたいです。

なので、まだまだ若い父が暴れまわっても(笑)穏便に事が済んだらしいです。

まぁ、何でも「その筋」からスカウトが来るほど暴れていたらしいです(笑)

それでも、仕事はマジメに取り組んでいたらしく、若くして「独立」という話も出てきました。

そんなある日、父は師匠と、地元の興行主(その筋?・・笑)、そして興業主が連れてきた外人プロレスラーらとススキノに飲みに出ました。

ちなみに、その外人レスラーは、後にプロレスのレフリーとしても活躍する「知る人ぞ知る有名選手」です。

当時はプロレスが人気でしたから、その外人プロレスラーも注目されていますし、彼もそれを知っていて暴れ放題だったらしいです。


ある高級クラブに行き、我が物顔で酒を飲んでいるとショーが始まりました。

クラブ歌手が唄っているのですが、外人レスラーはその歌手を気に入ってしまい、歌も聞かずにテーブルに連れて来いと言いだしました。

まぁ、パフォーマンスも含めていたのでしょう(笑)
しかし、クラブ歌手の女性は接客はしませんから、席につくことはありません。

それが気に入らないとレスラーが騒ぎ、誰も止められなくなったところ、そのレスラーを制したのが父でした。

それが父と母の出会いです。

えぇ、母はクラブ歌手だったのです(笑)
まぁ、それはそれで事情があるのですが・・・。

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