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北小路 肉丸の自分史・・つまり「肉丸史」

第4章のあとがき(2)

■引っ越し
担任の先生はとても長生きで、今もご存命です。
一度倒れたことがあるのですが、たまたま家を訪れた同級生が発見し病院へ搬送しました。
その病院の看護師さんも教え子だったそうです。

■ショートカット
初対面時に顔を覚えられなかったわけですが、この二人は髪形は似ていますが、顔は似ていません。

■勉強とR君
R君は近所の会社の社長さんの息子でいつもテンガロンハットをかぶっていました。
当時は「交換日記」が流行っていて、男同士で「DJ風の音の交換日記」をしていたわけです。

■全道大会優勝チーム
野球は、力の差がありすぎて可哀想ということで3回コールドになりました。

「ふくべ」はもやしを山のように盛り、汁があふれたまま出されるラーメン店でした。
鷲のはく製が置いてありましたが油で真っ黒になっていて「カラス」のようでした。
惜しまれつつ閉店しています。

「虹」は近所のスーパー内に入っていた店で、ラーメンからアイスクリームまで揃っていました。
私たちが訪れると必ずお椀を3つ出してくれました。

■イジケーズ
名前の由来となった投手は、今でも一緒に遊ぶ仲です。
(後で出てくると思うので割愛)

1年前は塁に出ることもできませんでしたが、この時は2塁打を打っています。

■運命の出会い
ここはあまり触れません(笑)

■進路
普通の高校に行って大学に進学すると親の跡を継がなくてはならないと考えていました。
そのタイミングで生徒会長の進学や「日高横断自動車道路」のニュースを見たわけです。
工業高校を選択したら大学に行かなくても済みますし、親は建築業だったため、建築科を選ばず土木科を選ぶとあきらめると思いました。
実際、父は跡を継がせることをあきらめて、弟子に仕事を譲っています。
(しばらく愚痴は言われたが・・)

「通学路の道路工事」は写真を見た時に驚きました。


■中学生活
暗に脚本家よりも文才があったと書きたかっただけです(笑)

「鈍感」と言われましたが、モテていたわけではありません。

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第4章のあとがき(1)

■自転車
「みんな持ってる!」といわれて焦って自転車を用意したそうです。
母は私が大人になっても「騙された」と常に言っていましたね。
購入したわけでは無く、知り合いからいただいたようで、錆だらけの自転車でした。

■遊び
サラリと触れた「トマト畑事件」ですが、当時は近所でもかなり話題になったようです。

また、ボウリングブームに乗り、120レーンで東京以北最大のボウリング場が近所にできましたが、あっという間に潰れました。
友達と忍び込んでは自分たちでピンを立ててボウリングをしていました。
(犯罪です)

■プラッシー
N谷君のお父さんは私の分も合わせて毎回2つの牛乳瓶のふたを持ってきてくれました。
今思うと、出張先で牛乳ばかり飲んでいたのでしょうね(笑)

一時的に「日本一のマンモス校」と言われていた気がします。
教室が不足していましたし、1学級の子供も多かったと思います。
そのため、3、4年生時代の友達の記憶があまりありません。

■セイコーマート
当時は「鍵っ子」が多かったのですが、そうならないよう仕事場に私を連れて行っていたと思います。
陶器の会社は卸売市場の近くの本社に連れて行ってもらうことも多く、お菓子のおまけのシールを店舗のシャッターに貼って遊んでいました。
その会社は潰れたようですが、本社の建物は残っていて、大人になってシャッターを見たら「シール」が残っていました。
(現在は駐車場になっています)

セイコーマートには「北海道犬」が飼われていて、その犬ともよく遊んでいました。

■ご近所
児童虐待でしたが、普段は親子ともキレイな服を着て出かけていたことを覚えています。
また、父が酔っ払って血だらけになって帰ってきたことがあるのですが、救急車の手配などをその家の人がしてくれていました。

勉強しながら手作りクッキーと紅茶をいただき、たまに晩御飯も食べさせてもらいました。
とにかく凝った料理だったことは覚えています。
その後、近くに家を建てて「ピアノ教室」の看板を出していました。

■不審者
後日談として、親たちが大騒ぎになり「どこの家の人か」聞かれています。
ただ、当時は「とても良い人」と思っていたため、友達全員が家を教えませんでした。
その近辺にも行かなくなりましたが、その後は同様の事件が発生したという話はありませんでした。

■代理戦争
大家さん一族と対立する農家ですが、

農地を売る際に大家さん一族よりも安い金額だったことの「逆恨み」だったようです。
それでも当時で3億円以上で売ったそうで、3億円の現金でひな人形を飾りつけて見栄を張っていました。
(当時を知る人がいたら、誰かわかってしまうかも・・)

両親は土地を購入した後だったため、その不動産屋さんが代替地を用意してくれたそうで、私の教育を考えて代替え地の中から「公園の前」の土地を選んだそうです。

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第65話 中学生活

成績は変わらずに「中の上」を維持していましたが、読書感想文など「文字を書く」ことは得意でした。

同級生にも「文章作成」が上手な子がいたのですが、常に私が「上」でしたね。

彼女は悔しかったのか「友人が亡くなってしまった話」を涙ながらに作文にしたのですが、誰が見ても「創作」です。

私がそれを攻めると泣き出してしまいました(汗)

その後、彼女は有名ドラマの脚本家になりましたが、あの時の事を忘れていると良いなぁ~・・。

恋愛事情については、関心はありましたが「男子と遊ぶ」ことが楽しく、恋心を抱いていたショートカットの子からバレンタインデーに自宅に誘われてチョコレートをもらったくらいです。

それも緊張していて「ありがとう!」と近所に聞こえる大声でお礼を言ってしまい、隠れて見ていた他の女子に叱られたくらいでした。
(当時は鈍感という意味が良く分かっていなかったのですよ・・)

当然、将来の伴侶となる子とも学校行事で「同じ班」で行動することは多くてもそれ以上はありません。

多分「ごく普通」の中学校生活を送っていたと思います。

第4章 小学・中学生 完

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第64話 進路2

1つ先輩の生徒会長が地元の工業高校の土木科に進学しました。

それまで「土木」は暗い嫌なイメージしか無かったのですが、生徒会長の進学でイメージが変わった気がします。

ちょうどテレビのニュースで「日高横断自動車道路」の建設について取り上げられているときでした。

十勝と日高が道で繋がると生活が便利になるわけですが、道路ができると自然破壊に繋がることになります。

子供のころ、イルカと遊びながらヘリコプターやセスナを乗りこなし自然を守る「わんぱくフリッパー」というアメリカドラマが大好きだった私は「自然保護官」にあこがれていました。

自分ならば「自然を守りながら、人が便利暮らせる道路」を作ることができるかもしれないと勝手に思い込んでしまいました。

ちょうど、通学路の交差点で道路工事が行われていて、興味深く仕事を見ていたところ「おもしろそう」な仕事に感じてしまいました。

父親の跡を継ぎたくないという「逃げの気持ち」が、ポジティブな気持ちに変化してきました。

何より、工業高校の土木科ならK林君の偏差値でも進学できそうでしたからね(笑)
(私は余裕です)

ちなみに「それから10年以上経ったある日」のこと、会社で過去の工事写真を整理していたら、私が興味深く見ていた「通学路の工事」の写真が出てきました。

あの工事は私が就職した会社で行っていたわけで、これも「縁」なのかもしれません。

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第63話 進路1

クラス替えでR君と別のクラスになり、同じ野球チームのK林君と遊ぶようになりました。

彼の家は校区のかなり端で徒歩で1時間かかる場所にありました。

マムシや毒蛾に注意と書かれた看板が立ち並び、まるで異世界のようでしたね(笑)

そして、2年生になると「進路」の事も考えなくてはなりませんでした。

両親は大学へ進学し、将来は父親の仕事を継いでほしいようでした。

しかし、一番気難しい「中2」ですから、親の敷いたレールの上は走りたくありません。

何より父親は仕事が忙しいという理由で、家庭を顧りみず、どこかに家族で遊びに行ったという記憶がありません。

そのような仕事なら「跡を継ぐ」ことをしたくありませんでした。

でもハッキリとした態度を見せると母親が悲しむでしょうから、K林君と同じ高校に進学したいとだけは伝えることとしました。

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